「好きなことで、生きていく」
10年くらい前からよく聞くようになったキャッチフレーズ。
私はこの言葉に翻弄されている。
29歳。23歳で大学を卒業してから既に職業を3つ経験した。
この年齢にしては少し多い。
なぜ職を転々としてしまうのか、
それは「なにかで大成しなければ私に価値はない」という思い込みがあるからだ。
これを読んでいる人は、「大成しなきゃと思っているのに職をどんどん変えるなんて、矛盾している」と思うかもしれない。
しかしここには明確なロジックがある。
『大成するには、その仕事を好きでなければならない』
『三度の飯よりこれが好き、というくらいの天職でなければ大成することはできない』
こんなことを考えて、仕事に飽きて嫌気が差している自分に気づくと
「これは好きな仕事じゃない。大成できない。あっちの仕事の方が楽しそうだ、どこまでもやり込めるんじゃないか」
と、職を変えてしまうのである。
そして結局飽きる。「好きかも」と思えていたはずのものが色褪せ、「やっぱり好きじゃなかった気がする」に落ち着く。
明確に「これが好きだ!」とはっきり言えるようなものを職業にして、それに嫌気が差した場合、
「私の場合は『好きなことを仕事にする』のは向いていなかったんだな」とわかる。
でも私はそうじゃない。「好きかも?」くらいの曖昧な根拠で職を変えてきた。
そう。私には『大好きなもの』がないのだ。
問題が職だけならまだいい。
『趣味』もないのだ。
いやいや職の方が問題だろ、と思う方もいるかもしれないが、私にとっては趣味の方が切実だ。
中学生の頃から、趣味がないことが悩みだった。
部活に入っていたし、習い事もやっていたが、
「明日から辞めてください」と言われればあっさり辞めることができる程度の情熱だった。
というか、部活に入ったのも習い事に通っていたのも親の方針だった…。
本気で打ち込めるものがなにもない。仕事も、趣味も。
好きなことがなにもない。私はなんのためにあくせく苦しんで働き生きているのだろう。
好きでもない会社と家を往復しながら生きる意味を問う日々。
もう楽になりたかった。
そして私は楽になる方法をいろいろと模索した。
最悪の方法も頭を掠めたりもしたが、そこは思いとどまって至った結論がある。
『大成しなければ価値はない』という思い込み。
これが私を苦しめていた一つの要因だ。
大成しなくたって私には1人の人間としての価値はあるのに。
私を苦しめていたのは、私自身だったのだ。
だから私は、『大成』を目的にするのをやめた。
日々生きるのに必要なお金が稼げればOK。大して好きじゃない仕事でもOK。
そして好きでもない仕事なら、生きるのに最低額稼げればOKだ。週3のアルバイトで十分。
正社員は責任も重たいし、残業もある。好きじゃないことに必要以上に時間を割くことはない。
そしてこうすることによって、『好き』がないという私の根本的な問題を解決する糸口が見えてくる。
私は『お金持ち』ならぬ『時間持ち』になるのだ。
その持て余した時間でなにをするか。そこから私の『好き』が見えてくるんじゃないか。
そして、日々考えたこと、思ったこと、行動してみたことを文章にして残そう。
アウトプットすることでその日の私の体や心の動きが明確になる。
そうしながら、ゆっくり、焦らず、なかなか『好き』が見つからない自分を自分で責めることもなく、少しずつ『好き』を探していこう。
『好き』を探す、というのは本来なら高校か大学を卒業するまでに終わらせておくのがベストなのかもしれない。
でも、時間は巻き戻せない。
29歳という現実に焦りそうになることもある。
でも、残りの人生のうち1番若いのは、29歳である今なのだ。
無理して残り何十年生き続けるより、軌道修正は早い方がいい。
私の『好き』探しのため。
これから日々ブログを書いていく。