『劇場版ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦』と絶縁した親について

ゴミ捨て場の決戦を観てきた。

 

ハイキューは大学生の頃から単行本を集めていたが、その後ミニマリズムに触発されて全て手放しアニメ派になったので、

ゴミ捨て場の決戦はどちらが勝つかほぼ全くわからない状態で観に行った。

 

以降、ネタバレになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最もいいなと思ったシーンは、

終盤、研磨目線でボールの動きを追っているところ。

BGMやSEなどが消え、まるで本当にコートの中にいるかのような臨場感。

選手の声やボールの音、シューズの音だけが鳴り響いていて、もうそれだけで涙が出そうだった。

 

さて、ネタバレ箇所はこれで終了。

本題はここから先なのである。

 

私には絶縁した両親がいる。

私がマンガやアニメにハマるのをよく思っていない両親だった。

 

映画を観ている間、何度も頭を掠めた思考。

「この映画であれば、親は認めてくれるだろうか?」

 

もう絶縁した相手だ。もう認めてもらう必要はないのだ。

しかし私は心のどこかで、まだ親に認めてほしいと思っている。

そんなこと不可能だ。絶縁したから不可能なんじゃない。親が私の趣味に理解を示すことなんてないのである。そんなことに希望を持っちゃいけない。

 

それでもいつも、どこかに親の許可を求めている私がいる。

もういい加減割り切りたいのに。

一緒に映画を楽しんでくれる夫が隣にいたのに、私はそれで満足できないのか。

 

こどもはいつまで経っても親の呪縛から逃れられないのだろうか。

私はいつまで苦しめばいいのだろうか。