ストレングスファインダーを受け直したら資質順位がかなり変わった

ストレングスファインダーを受け直した。

 

1度目に受けたのは2年前。

その時はの順位は以下のような感じだ。

 

1内省

2未来志向

3着想

4慎重さ

5適応性

6最上志向

7運命思考

8責任感

9共感性

10個別化

 

1位内省はとても納得できたが、

2位未来志向の時点で違和感を感じていた。

 

そしてどうしても受け入れられなかったのが、

7位運命思考。

物事の間につながりがある?

偶然は存在しない?

あらゆる出来事には何らかの意味がある?

全く心当たりがない。

 

本当にこれが私なのだろうか。

 

ストレングスファインダー公式は、受け直しを推奨していないらしい。

そしてネットで受け直した体験談を読んだりもしてみたが、多少順位の上下があっただけであまり変わらなかった、という話だった。

 

しかし、どうも納得がいかない。

 

受け直そう。

それでも運命思考が上位にあるようなら、私が気づいてないだけで運命思考の資質を本当に持っている、ということだし、

運命思考が下がったら、「やっぱり運命思考は違ったんだ」とわかる。

いずれにしても納得できそうだから受け直そう。

 

そうして私はわざわざGallupのアカウントを新しく作り、

ストレングスファインダーを受け直した。

 

結果がこれだ。

 

1親密性(1回目15位)

2内省(1位)

3学習欲(14位)

4共感性(9位)

5慎重さ(4位)

6収集心(11位)

7適応性(5位)

8最上志向(6位)

9達成欲(34位、つまり最下位)

10責任感(9位)

 

…おいおい、大丈夫かストレングスファインダー!

もちろんふざけた回答はしていない。

2年前だって安くはないお金を払って受けてるんだから真面目に答えたはずだ。

なのに…こんなにたくさん順位が変わってしまって!

達成欲に至っては最下位から9位に上がってるじゃないか!

 

2位だった未来志向は23位へ、

3位だった着想は16位へ。

そして7位運命思考は21位へ。

もうなにを信じればいいんだ…

 

ただ、今回受け直した内容の方がしっくり来る。

時と共に変わったのかもしれない…

いや、ストレングスファインダーって生まれつきの資質を判定するものだから時と共に変わるはずはないのだが……

 

ともかく、こんな結果になってしまった以上

受け直しを迷ってる人には「ぜひ受け直してください」という立場を取らざるを得ない。

そして私は今後の人生の中で、

また「違うな」と思ったら受け直すことだろう。

というかもうストレングスファインダーを信用しなくなって逆に受けなくなるかもしれないが。

 

結果が1回目と同じでもそうでなくても、

受け直す価値はあると感じている。

『劇場版ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦』と絶縁した親について

ゴミ捨て場の決戦を観てきた。

 

ハイキューは大学生の頃から単行本を集めていたが、その後ミニマリズムに触発されて全て手放しアニメ派になったので、

ゴミ捨て場の決戦はどちらが勝つかほぼ全くわからない状態で観に行った。

 

以降、ネタバレになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最もいいなと思ったシーンは、

終盤、研磨目線でボールの動きを追っているところ。

BGMやSEなどが消え、まるで本当にコートの中にいるかのような臨場感。

選手の声やボールの音、シューズの音だけが鳴り響いていて、もうそれだけで涙が出そうだった。

 

さて、ネタバレ箇所はこれで終了。

本題はここから先なのである。

 

私には絶縁した両親がいる。

私がマンガやアニメにハマるのをよく思っていない両親だった。

 

映画を観ている間、何度も頭を掠めた思考。

「この映画であれば、親は認めてくれるだろうか?」

 

もう絶縁した相手だ。もう認めてもらう必要はないのだ。

しかし私は心のどこかで、まだ親に認めてほしいと思っている。

そんなこと不可能だ。絶縁したから不可能なんじゃない。親が私の趣味に理解を示すことなんてないのである。そんなことに希望を持っちゃいけない。

 

それでもいつも、どこかに親の許可を求めている私がいる。

もういい加減割り切りたいのに。

一緒に映画を楽しんでくれる夫が隣にいたのに、私はそれで満足できないのか。

 

こどもはいつまで経っても親の呪縛から逃れられないのだろうか。

私はいつまで苦しめばいいのだろうか。

『内省』の資質を活かしたメンタルコントロール法

誰しも落ち込むこと、憤ること、なんだか気持ちがモヤモヤすることがあるだろう。

そんなマイナスの感情から離れる為の対処法はいろいろなものがあると思うけれども、

ストレングスファインダーの資質『内省』が強い人は「書く」ことをオススメする。

『内省』1位の私はいつも書いてスッキリする。

 

まず、感情を端的に文章にする。

それに対し、「なんで?」「いつから?」などの問いかけを自分に対して行う。

その問いかけに文章で自分で答える。

それを繰り返すことで、真の自分の気持ちの構造、欲望などに気づくことができるのである。

 

例を載せよう。

 

ここ数日、なんだか心がモヤモヤしている

→いつから?

おとといの夕食あたりから?

→思い当たるきっかけは?

夫に「芋が微妙」と言われたこと

→どうしてそれが嫌だったのか?

たまに文句を言われるなら構わないが、最近料理の感想がマイナスなものばかりで不満が溜まっている

文句があるなら自分で作れと思ってしまう

→どうしてほしい?

口に合わないものは無理においしいとまで言う必要はないが、おいしいと感じたものにはおいしいと言ってほしい。不満ばかりだと料理を作りたくなくなる

→この内容は夫に伝えたか?

伝えてない。伝えてみよう。

 

わかりやすい例だとこんな感じだ。

 

この手法は「落ち込み」「憤り」「モヤモヤ」などのマイナス感情の対処以外にも使うことができる。

私は最近、どんな仕事が自分に合うのか大迷走していて、仕事を変えることも視野に入れているのだが、なんとなく「フリーランスでは居続けたい」という気持ちがあった。

そこで「どうしてフリーランスで居続けたいのか?」という問いを自分に投げかけ、書いて深掘りした。

実際のメモが以下である。

 

フリーランスでいたい

→なぜ?

自由な働き方をしたいから

→"自由な働き方"ってなに?

①好きな時間に働けること。

②在宅で働けること。

→①なぜ好きな時間に働きたいの?

モチベーションが湧く時と湧かない時があるから

→常にモチベーションを保てる仕事を見つけられれば問題ない

→②なぜ在宅で働きたいの?

通勤は非効率的。大事な命(時間というニュアンスで書いた)を削ってやるべきことではない。ただ、他メンバーとのコミュニケーションの為、週1程度の出勤はするべきだと思う。だけど時間をラッシュアワーに設定しないでほしい

→つまり、通勤ラッシュが嫌?空いてる電車なら毎日通勤もOK?

いや、通勤時間は、たとえ空いててもやれることが限られる。やはり週1程度がよい。

→在宅勤務は合理的な考えの元望んでいる。通勤ラッシュに被らない週1程度の出勤であれば会社員でも問題ない

 

こんな感じである。

 

『内省』上位の人は書くことが得意。

ぜひその得意を活かして、ネガティブな感情や人生の選択に対処していってほしい。

ストレングスファインダーの資質『内省』

やりたいことがコロコロ変わる、

やってもすぐ飽きる、

本当にやりたいことがわからない。

 

こんな悩みを抱えて早15年。

30手前にして、株式会社ジコリカイさんの『自己理解プログラム』の受講を決めた。

 

その中で、先天性の34種類の資質を強い順に並べてくれる『ストレングスファインダー』というテストを受ける手順がある。

やりたいこと探しを長いこと大迷走していた私は2年前に既にこのテストを受けていたが、

内容をしっかり噛み砕いて理解していなかったように思う。結果の文章が長すぎて…。(5000円払ったくせに)

 

1位、『内省』。

「知的な活動に多くの時間を費やします。知的な議論が好きです。」とのことだ。

まさにその通り。私は考えることが大好きだ。

深い深いレイヤーまで潜って考えることが大好き。

さらに、同じレイヤーくらいまで考えた人との知的な議論はとても楽しい。

『内省』が強い人同士で議論したらとても楽しそうだ。

 

『内省』が強い人の特徴として、

「話すより書く方が得意」というものがあるらしい。

私は『コミュニケーション』の資質が12位にあるので話すのはそこまで苦ではないのだが、

確かに書く方が得意ではある、気がする。

そこでこの強みを更に伸ばす為に、

「毎日書く」習慣を身につけるとよいのだそうだ。

 

そういえば、最近書いてない。

中学時代は小説を書いていた。高校時代はmixiアメブロに、大学時代はTwitterやそれこそはてなブログに自分の考えを綴っていた。

社会人になってからもしばらくはアウトプットしていたが、最近はめっきりTwitterも動かしていない。

 

よし、書こう。毎日書こう。

ひとまずたまたま作ってあったこのはてなブログで、毎日発信しよう。

『内省』の資質を大切に、もっと輝くように毎日磨いていこう。

 

書くのが久しぶりすぎて締め方がわからないが、

毎日書いたら思い出せるだろうか。

今日はこれで終わりです。

美意識が上がったら、洗面台もきれいになった。

そこまで『キレイ』じゃなくても、

『不潔』じゃなければなんでもいい。

 

そんな私の意識が変わったのは、

美容院で奮発してめいっぱいのトリートメントをしてもらった時だ。

 

 

 

16000円かけた髪の毛は、

指を通してもまるでそこに髪がないかのようにサラサラになった。

見た目もツルツル。カットもカラーも気に入っていて、それからというもの私は髪を大切にするようになった。

 

毎日ヘアケアをしてサラサラ髪をキープしていたら、

今度はスキンケアもしたくなってきた。

それまでスキンケアといえば薬局でテキトーに買った安くて大容量の化粧水をお風呂上がりにバシャバシャ顔にかけるだけだった私が、

美容系のYouTubeを観あさり、こだわりの洗顔法や化粧水を使うようになった。

 

ズボラで時間のかかることが嫌いな私は、

もともとお風呂に入る、シャワーを浴びるのがそんなに好きではなかった。

お風呂上がりはドライヤーもせず自然乾燥に任せ、

髪の毛が半濡れのままベッドに入ることもしばしば。

「ショートヘアは似合わないから」とロングを好んでいたにも関わらず、

その分かかる手間を全て省略してしまっていた。

 

そんな私が、お風呂上がりにしっかりスキンケアをするようになった。

顔だけじゃなく全身もケアするようになって、

もちろんドライヤーもしっかりするから

私の一連の"お風呂の流れ"にかかる時間は倍になった。

でも「しっかりケアをした」という実感が、私を大満足させていた。

 

のだが。

 

ある日気がついた。

洗面台の前で髪の毛をとかし、

洗面台の前でドライヤーをする。

髪の毛がとぅるんとぅるんになるかわりに、

洗面台が抜けた毛で毛まみれになっていた。

 

そこで思い出した。

美意識が上がる前にもきまぐれにドライヤーをすることがあったが、

そんな時、たった1度、私は夫に文句を言われていた。

 

「洗面台毛まみれやん。なんで掃除せんの」

 

私はたしかその文句をテキトーに受け流したように思う。

無口であまり主張をすることのない夫はそれ以上なにか言ってくることはなかったが、

もしかしたらその1度に限らず、何度もストレスを抱えていたかもしれない。

私に代わって洗面台を掃除してくれていたかもしれない。

 

それで本当にいいのだろうか。

髪がきれいになり、肌がきれいになり、

洗面台は汚くなる。

私は自分の見た目がきれいになって満足する。

私以外の人が、不満を抱く。

 

そんな『私』って、本当に『キレイ』だろうか?

 

そう思ったら洗面台を掃除せずにいられなくなった。

お風呂上がりのヘアケア・スキンケアが全て終わったあと、

必ず洗面台の掃除をするように。

 

ピカピカの洗面台を見ると、

まるで心まできれいになったような気がしてくる。

 

 

 

美意識が上がったら、洗面台もきれいになった。

自分の都合で他人に迷惑をかけないこと。

これで私も、外側だけじゃなく

内側も少しだけ、きれいになれただろうか。

好きなことがなにもない私が、ブログを始めてみた。

「好きなことで、生きていく」

10年くらい前からよく聞くようになったキャッチフレーズ。

私はこの言葉に翻弄されている。

 

 

 

29歳。23歳で大学を卒業してから既に職業を3つ経験した。

この年齢にしては少し多い。

 

なぜ職を転々としてしまうのか、

それは「なにかで大成しなければ私に価値はない」という思い込みがあるからだ。

 

これを読んでいる人は、「大成しなきゃと思っているのに職をどんどん変えるなんて、矛盾している」と思うかもしれない。

しかしここには明確なロジックがある。

 

『大成するには、その仕事を好きでなければならない』

『三度の飯よりこれが好き、というくらいの天職でなければ大成することはできない』

こんなことを考えて、仕事に飽きて嫌気が差している自分に気づくと

「これは好きな仕事じゃない。大成できない。あっちの仕事の方が楽しそうだ、どこまでもやり込めるんじゃないか」

と、職を変えてしまうのである。

そして結局飽きる。「好きかも」と思えていたはずのものが色褪せ、「やっぱり好きじゃなかった気がする」に落ち着く。

 

明確に「これが好きだ!」とはっきり言えるようなものを職業にして、それに嫌気が差した場合、

「私の場合は『好きなことを仕事にする』のは向いていなかったんだな」とわかる。

でも私はそうじゃない。「好きかも?」くらいの曖昧な根拠で職を変えてきた。

 

そう。私には『大好きなもの』がないのだ。

 

問題が職だけならまだいい。

『趣味』もないのだ。

いやいや職の方が問題だろ、と思う方もいるかもしれないが、私にとっては趣味の方が切実だ。

 

中学生の頃から、趣味がないことが悩みだった。

部活に入っていたし、習い事もやっていたが、

「明日から辞めてください」と言われればあっさり辞めることができる程度の情熱だった。

というか、部活に入ったのも習い事に通っていたのも親の方針だった…。

 

本気で打ち込めるものがなにもない。仕事も、趣味も。

好きなことがなにもない。私はなんのためにあくせく苦しんで働き生きているのだろう。

 

好きでもない会社と家を往復しながら生きる意味を問う日々。

もう楽になりたかった。

 

そして私は楽になる方法をいろいろと模索した。

最悪の方法も頭を掠めたりもしたが、そこは思いとどまって至った結論がある。

 

『大成しなければ価値はない』という思い込み。

これが私を苦しめていた一つの要因だ。

大成しなくたって私には1人の人間としての価値はあるのに。

 

私を苦しめていたのは、私自身だったのだ。

 

だから私は、『大成』を目的にするのをやめた。

日々生きるのに必要なお金が稼げればOK。大して好きじゃない仕事でもOK。

そして好きでもない仕事なら、生きるのに最低額稼げればOKだ。週3のアルバイトで十分。

正社員は責任も重たいし、残業もある。好きじゃないことに必要以上に時間を割くことはない。

 

そしてこうすることによって、『好き』がないという私の根本的な問題を解決する糸口が見えてくる。

私は『お金持ち』ならぬ『時間持ち』になるのだ。

その持て余した時間でなにをするか。そこから私の『好き』が見えてくるんじゃないか。

 

そして、日々考えたこと、思ったこと、行動してみたことを文章にして残そう。

アウトプットすることでその日の私の体や心の動きが明確になる。

そうしながら、ゆっくり、焦らず、なかなか『好き』が見つからない自分を自分で責めることもなく、少しずつ『好き』を探していこう。

 

『好き』を探す、というのは本来なら高校か大学を卒業するまでに終わらせておくのがベストなのかもしれない。

でも、時間は巻き戻せない。

29歳という現実に焦りそうになることもある。

でも、残りの人生のうち1番若いのは、29歳である今なのだ。

無理して残り何十年生き続けるより、軌道修正は早い方がいい。

 

 

 

私の『好き』探しのため。

これから日々ブログを書いていく。